本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争とは? わかりやすく解説

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本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:50 UTC 版)

南京事件論争史」の記事における「本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争」の解説

再び注目を集めるきっかけとなったのは、日中国交樹立直前1971年昭和46年11月より朝日新聞紙上掲載され本多勝一記者の『中国の旅』という連載記事である。南京を含む中国各地での日本軍残虐行為精細に描写され記事で、南京事件について一般的日本人認識はこれ以降大きく広まり、また日本人による南京事件目撃証言さまざまな雑誌本に掲載されるようになった。 この記事で「百人斬り競争」が報道されて、山本七平鈴木明の“百人斬り虚構である”と批判始めた鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』文藝春秋 1973年)は事件事実自体全面否定しない立場からの論考であったが、否定説象徴みなされるようになり、この書名影響され否定説・'否定派を「まぼろし説」「まぼろし派」とも呼ぶようになった秦郁彦はこの論争第一次論争とする。1975年頃論争は「肯定派」「否定派」「あったとしても大虐殺というほどではないとする人々」の間で激しく展開された。

※この「本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争」の解説は、「南京事件論争史」の解説の一部です。
「本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争」を含む「南京事件論争史」の記事については、「南京事件論争史」の概要を参照ください。

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