本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争
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「南京事件論争史」の記事における「本多勝一・ 山本七平・鈴木明の論争」の解説
再び注目を集めるきっかけとなったのは、日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)11月より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の『中国の旅』という連載記事である。南京を含む中国各地での日本軍の残虐行為が精細に描写された記事で、南京事件についての一般的日本人の認識はこれ以降大きく広まり、また日本人による南京事件目撃証言がさまざまな雑誌や本に掲載されるようになった。 この記事で「百人斬り競争」が報道されて、山本七平と鈴木明の“百人斬りは虚構である”と批判を始めた。鈴木明の『「南京大虐殺」のまぼろし』(文藝春秋 1973年)は事件の事実自体は全面否定しない立場からの論考であったが、否定説の象徴とみなされるようになり、この書名に影響されて否定説・'否定派を「まぼろし説」「まぼろし派」とも呼ぶようになった。 秦郁彦はこの論争を第一次論争とする。1975年頃の論争は「肯定派」「否定派」「あったとしても大虐殺というほどではないとする人々」の間で激しく展開された。
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