木村一八のギリギリtwist and shutとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 木村一八のギリギリtwist and shutの意味・解説 

木村一八のギリギリtwist and shut

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/28 07:27 UTC 版)

俺が、木村一八だ

一八と弘志クン

木村一八のギリギリtwist and shut
ジャンル トークバラエティ番組
放送方式 録音
放送期間 1985年10月7日 - 1987年10月9日
放送時間 #放送時間の節を参照
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク CBCラジオ
MBSラジオ
パーソナリティ 木村一八
出演 西川弘志
(『一八と弘志クン』の時期のみ)
テーマ曲 ビートルズツイスト・アンド・シャウト
(『木村一八のギリギリtwist and shut』の時期のみ)
特記事項:
『一八と弘志クン』より三菱重工の一社提供になり、『ビーバーヤング』のサブタイトルが付く。
テンプレートを表示

木村一八のギリギリtwist and shut(きむらかずやのギリギリツイスト・アンド・シャウト)は、1986年10月6日から1987年10月9日までニッポン放送で放送されていたラジオ番組

本番組スタート前に、同じ木村一八パーソナリティでの前々身番組「俺が、木村一八だ」(おれがきむらかずやだ)、西川弘志と共演した前身番組「一八と弘志クン」(かずやとひろしクン)が同じ枠で放送されていた。本項ではこれら全てについて説明。

概要

1985年10月7日に『俺が、木村一八だ』のタイトルで、ニッポン放送の21:30頃の枠でスタート。この当初は月曜から金曜まで毎日5分の帯番組で、『島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧』の中の箱番組として放送されていた。

1986年4月7日西川弘志を共演者として『一八と弘志クン』[注釈 1]としてリニューアル。横山やすしの息子の一八と西川きよしの息子の弘志の、やすきよの息子同士という番組になった。放送時間も月曜から金曜まで21:50からの毎日10分に拡大(単独番組として放送)。この時から三菱重工の一社提供番組となり、三菱重工が販売するエアコンの製品ブランドに因み「ビーバーヤング」のサブタイトルが付く。

1986年10月6日より再び木村の単独番組となって『木村一八のギリギリtwist and shut』に改題してリニューアル。この時より、ビートルズの曲『ツイスト・アンド・シャウト』が番組テーマ曲となった。1986年10月から1987年3月までの間は、再び放送が21:30頃の帯枠(毎日10分)となって『小倉久寛のオグラでオグラだ!』の箱番組として放送され、1987年4月6日からは再び21:50からの単独番組となる。言いたい放題のフリートークが売り物と言われていた[1]

『俺が、木村一八だ』から『一八と弘志クン』までの間は、藤井青銅が番組構成を務めていた[2]

放送時間

(ニッポン放送での放送時間)

俺が、木村一八だ
一八と弘志クン
  • 月曜 - 金曜 21:50 - 22:00 (1986年4月7日 - 1986年10月3日)
木村一八のギリギリtwist and shut
  • 月曜 - 木曜 21:30頃 - 21:40頃 (1986年10月6日 - 1987年4月2日)
  • 月曜 - 金曜 21:50 - 22:00 (1987年4月6日 - 1987年10月9日)

ネット局

CBC『わ!WIDE』内での放送

CBCラジオは当時の若者向け夜ワイド番組『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス』の中で22:13頃から放送。『わ!WIDE』では、この直前の時間に「木村一八(の前)のコーナー」を放送。当コーナーは木村に関する内容のハガキを1枚読み、トークをした後で、当番組を放送した。最初は『俺が、木村一八だ』を放送していた頃に、5分間という短さに「自己紹介みたい」という評判が立ったため、自己紹介的なハガキのネタを紹介するコーナーだったが、木村の言動に対しての印象度やタレントとしての評価によって、そのハガキの内容が次第に過激化していき、木村を弄ったり揶揄したりの内容が大多数を占めるようになった。中には「一八のようなご立派な奴の番組のスポンサーをやるとはさすがですね」などと提供スポンサーの三菱重工を持ち上げるネタがあり[1]、中には揶揄要素のない内容や木村に関する普通の質問に対しても小堀勝啓が木村を弄ってい揶揄したりする様なトークで答えた[3]

月刊『ラジオパラダイス』誌上では当番組より、当コーナーの方が大きく特集されたことがあった[1]。木村もこのコーナーの評判を聞いたことがあった様で、小堀の元へ電話を入れたことがあったと言う[4]。そのため、いよいよ木村と小堀の全面対決か?!と噂されたが、当番組の終了で立ち消えとなった[5]

脚注

注釈

  1. ^ 『一八クンと弘志クン』は誤り。同じニッポン放送で放送されていた一連の『○○君と○○君』シリーズとは違い、一八には「クン」は付いていなかった。

出典

  1. ^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1987年8月号特集『アイドルラジオ 夏季講座』p.44-45
  2. ^ 藤井青銅オフィシャルホームページ「青銅庵」 藤井青銅仕事集
  3. ^ 月刊ラジオパラダイス 1987年5月号 p.101、月刊ラジオパラダイス 1987年11月号 p.101
  4. ^ 月刊ラジオパラダイス 1987年9月号 メイン特集「スーパーローカルラジオ対決 沢田のPAO~N vs 小堀のわ!WIDE」p.34 - 35
  5. ^ 月刊ラジオパラダイス 1987年11月号「1987秋のラジオ改編大特集」p.37
ニッポン放送 月 - 金 21時台の10分帯番組枠
前番組 番組名 次番組
俺が、木村一八だ

一八と弘志クン

木村一八のギリギリtwist and shut

「木村一八のギリギリtwist and shut」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

木村一八のギリギリtwist and shutのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木村一八のギリギリtwist and shutのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木村一八のギリギリtwist and shut (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS