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木下敏之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 22:51 UTC 版)

木下敏之
きのした としゆき
生年月日 1960年2月12日
出生地 佐賀県佐賀市
出身校 東京大学法学部第2類[1]
前職 国家公務員農林水産省
現職 大学教授
所属政党 無所属
称号 法学士(東京大学・1984年
公式サイト 木下としゆき

佐賀県佐賀市
当選回数 2回
在任期間 1999年 - 2005年
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木下 敏之(きのした としゆき、1960年昭和35年)2月12日[2] - )は、日本の政治家農林水産官僚福岡大学経済学部産業経済学科教授。佐賀市長を2期務めた。

概要

佐賀県佐賀市生まれ。母方の叔父2人が陸軍少佐(日華事変で戦死)と学徒動員(ミャンマーで戦死)で、父も陸軍士官学校の軍人だった[3]

佐賀大学教育学部附属小学校ラ・サール中学校・高等学校東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1]1984年(昭和59年)、農林水産省に入省した。島根県那賀郡三隅町水産庁漁場保全課・漁政課への出向を経て、1991年(平成3年)より農林水産省大臣官房総務課環境対策室課長補佐。1993年(平成5年)より環境庁水質保全局水質管理課、1994年(平成6年)より栃木県農務部農業経済課長へそれぞれ出向。1997年(平成9年)から農林水産省農林水産技術会議総務課総括課長補佐を務め、同職を最後に退官。

1999年(平成11年)、佐賀市長選挙無所属で出馬し、全国の県庁所在地の市長の中では最年少の39歳で初当選を果たした。2003年(平成15年)、佐賀市長再選。2005年(平成17年)、佐賀市・佐賀郡諸富町大和町富士町神埼郡三瀬村の合併に伴う新・佐賀市の市長選に出馬したが、元・佐賀市職員の秀島敏行に約4,000票差で敗れ、落選した。

2008年(平成20年)6月、官僚国家日本を変える元官僚の会の立ち上げに参加し、同会幹事に就任。2009年(平成21年)、事業仕分け第1弾第2ワーキンググループに民間有識者の立場で参加し、翌2010年(平成22年)の事業仕分け第2弾ワーキンググループBにも引き続き参加した。

同年、福岡市長選挙無所属で出馬したが、元・アナウンサー高島宗一郎(当選)、現職の吉田宏福岡市長の後塵を拝し、得票数3位で落選した。

2012年(平成24年)4月、福岡大学経済学部産業経済学科教授に着任。

脚注

  1. ^ a b 今問われる 激変時代の「意識改革」” (PDF). Date-MAX (2009年9月). 2024年11月23日閲覧。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、402頁。
  3. ^ 純, 吉田 (2020年12月31日). “ジェットコースターのような人生 福岡大学経済学部教授 ”木下敏之さん””. Re・rise News -美しい時代を創る人達-. 2025年3月14日閲覧。

外部リンク

先代
西村正俊
佐賀県佐賀市長
1999 - 2005
次代
秀島敏行



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