木下昇
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木下 昇(きのした のぼる[1]、1907年〈明治40年〉1月15日[1] - 没年不詳)は、日本の政治家。初代名和町長[2]。
経歴
鳥取県出身[2]。木下鶴吉の養嗣子となった[1]。米子中学校(現・米子東高校)卒業後[1][2]、農耕に精励する[1]。民生委員、農業会常務理事、農業委員、県郡養蚕連副会長監事、小学校PTA会長、村会議員[1]、鳥取県町村長会副会長[2]等を歴任した。
1950年から光徳村長を務め、名和町が発足した1954年から1966年まで名和町長を務めた[1][3]。
人物
住所は鳥取県西伯郡名和町大字東坪[1][2](現・大山町東坪)。
家族
- 木下家
脚注
注釈
出典
参考文献
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 『産経日本紳士年鑑 第1版』産経新聞年鑑局、1958年。
- 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
外部リンク
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