木下昇
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木下昇
きのした のぼる
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生年月日 | 1907年1月15日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 不明 |
出身校 | 米子中学校卒業 (現・鳥取県立米子東高等学校) |
前職 | 農業 |
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在任期間 | 1954年4月 - 1966年4月 |
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在任期間 | 1950年11月 - 1954年3月 |
村会議員
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木下 昇(きのした のぼる[1]、1907年〈明治40年〉1月15日[1] - 没年不詳)は、日本の政治家。初代名和町長[2]。
経歴
鳥取県出身[2]。木下鶴吉の養嗣子となった[1]。米子中学校(現・米子東高校)卒業後[1][2]、農耕に精励する[1]。民生委員、農業会常務理事、農業委員、県郡養蚕連副会長監事、小学校PTA会長、村会議員[1]、鳥取県町村長会副会長[2]等を歴任した。
1950年(昭和25年)11月から1954年(昭和29年)3月まで光徳村長を務めた[3]。その後、合併で発足した名和町長を同年4月から1966年(昭和41年)4月まで務めた[3]。
人物
住所は鳥取県西伯郡名和町大字東坪[1][2](現・大山町東坪)。
家族
- 木下家
脚注
注釈
出典
参考文献
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 『産経日本紳士年鑑 第1版』産経新聞年鑑局、1958年。
- 『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
外部リンク
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