朝鮮貴族の男爵
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1910年(明治43年)の朝鮮貴族令(皇室令第14号)により華族制度に準じた朝鮮貴族の制度が創設された。朝鮮貴族にも公侯伯子男の五爵が存在したが、朝鮮貴族の公爵に叙された者は現れず、朝鮮貴族の最上位爵位は侯爵だった。朝鮮貴族の爵位は華族における同爵位と対等の立場にあるが、貴族院議員になる特権がない点が華族と異なった。 朝鮮貴族の爵位は家柄に対してではなく日韓併合における勲功などに対して与えられたものだったが、そうした勲功を上げることができるのは大臣級の政治家や軍人だった者だけであるため、朝鮮王朝の最上位貴族階級だった両班出身者で占められた。 朝鮮貴族の爵位に叙された者は全部で76名であり、うち男爵に叙されたのは45名である。下級朝鮮貴族には反日派も多く、男爵に叙された45名のうち20%にあたる9名が叙爵を拒絶あるいは返却している。著名な者には第二次日韓協約に怒り「乙巳五賊」の処刑を訴え併合後の男爵叙爵に恥辱と憤り自決した金奭鎮(1843-1910)。男爵を返上した後、上海で韓国独立運動に参加し、大韓民国臨時政府要人として活躍した金嘉鎮(1846-1923)。1905年に内閣を組閣したが日本側の乙巳条約締結強要に憤り抵抗して免職となり、併合後は叙爵を拒否して蟄居し、朝鮮教育会の創設に携わった韓圭卨(1856-1930)などがいる。彼らは現代韓国で反日愛国者として高く評価されている。 朝鮮貴族は創始改名しない家が多かった。昭和期には朝鮮貴族の貧窮ぶりが相当なものになっていた。
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