朝鮮軍司令官から第七方面軍司令官へ
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「板垣征四郎」の記事における「朝鮮軍司令官から第七方面軍司令官へ」の解説
1941年(昭和16年)に大将に昇進したと同時に朝鮮軍司令官となる。朝鮮軍司令官となってからも東亜連盟運動に関与しており朝鮮の活動家青年達とも接触を持ったが、司令官としては朝鮮総督の小磯国昭や朝鮮総督府政務総監らと共調した内鮮一体の植民政策を押し進めた。直接戦局と関わらない朝鮮軍司令官となったことについて辻政信は東亜連盟に熱心な板垣を東条が嫌ったためではないかと考えている。後半の1945年(昭和20年)4月、第7方面軍司令官に就任。
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