最悪の音楽、才能無し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:32 UTC 版)
「バディ・ホリー」の記事における「最悪の音楽、才能無し」の解説
7月22日2回目のセッション。ソニー、ドン、ジェリーのバディの仲間のみ4人で「ザットル・ビー・ザ・デイ」の初期バージョンを含む5曲を録音。セッションは開始前からつまづいた。現地でレンタルするはずのベースがスタジオに届かなかった。「ブラッドリーはこの後水上スキーに行く予定があったらしく、『20分だけ待つ』と言ってましたね。必死になってベースを調達しました」「ザットル・ビー・ザ・デイ」はジョン・ウェイン主演映画『捜索者』の中で主人公が印象深く繰り返すセリフをモチーフにしたバディとジェリーの共同作曲。「ブラッドリーは『今まで聞いた中で最悪の曲』と言ったみたいですね。」(ジェリー・アリソン)「まあ私たちの演奏技術が至らなかったのは確かですがエンジニア・ルームの全員がこの曲は最悪だと思ったみたいです。でも子供が一人いてスタジオの掃除をしていたんです。私聞いたんですよ、『どの曲が一番良かった?』って。そうしたら彼は『ザットル・ビー・ザ・デイが好き』と答えました。『イエィ!君分ってるね!』」(ソニー・カーティス)このセッションからシングルはリリースされなかった。バディはブラッドリー、ジム・デニーと良好な人間関係を保っていたがポール・コーエンはバディの才能を疑っていた。コーエンはバディにこう告げている。「君は私が今まで仕事してきた中で最も才能が無い」 11月15日デッカ3度目のセッション。12月セカンド・シングル「モダン・ドン・ファン/ユー・アー・マイ・ワン・デザイアー」発売。市場での反応は無く、翌1957年1月26日デッカはバディ・ホリーとの契約を打ち切る。 バディたちにとってデッカでの1年は苦い経験となった。元々排他的な性格を持つナッシュビルでさしたる人脈も無くラボック周辺でのキャリアしか持たない彼らは不利だった。「彼らは私たちとサウンドなどの打ち合わせをほとんどする事なくマイクのスイッチを入れました。彼らはロックンロール・ミュージシャンを必要としながらその制作の経験はありませんでした。ナッシュビルは基本的にカントリー音楽の専門ですからね」(ソニー・カーティス)オウエン・ブラッドリー後のインタビュー。「我々がロックン・ロールの扱いを知らなかった、と言いうのが正直なところ。私達はカントリーを録るつもりだったがバディは何か違う方向に行ってる感じがした。後でブランズウィックの『ザットル・ビー・ザ・デイ』を聞いたが最初に(デッカ録音で)これをやってくれれば良かったのにね。ま、一種の事故みたいなものかな」
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