書籍に描かれる田舎小僧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 00:42 UTC 版)
田舎小僧にまつわる話の多くは、稲葉小僧の逸話と混同されたものが多い。 三田村鳶魚によれば、稲葉小僧と田舎小僧、両者は別人だが、語呂が似ていることや盗賊として活動していた時期が近かったことから、「稲葉小僧新助」という1人の泥棒に仕上げられてしまったと書いている。また鳶魚は、稲葉小僧には、山城国淀藩の藩主稲葉丹後守正諶の侍医の子という説があり、藩中の人間が盗賊となったという噂を糊塗するために田舎小僧に稲葉小僧の分の罪もかぶせたのではないかと疑ってもいる。さらに、田舎小僧新助は刀剣類は盗まなかったのに、申渡しには「金子並腰のもの、亦は小道具、反物、提げもの、衣類」を窃取したと書かれているのは、稲葉小僧の分の罪を背負わせたものだとしている。 杉田玄白の『後見草』には、天明5年の春から秋にかけて噂になった稲葉小僧という盗賊が、同年9月16日に一橋邸で捕らえられた。この盗賊は武蔵国入間郡出身の新助という34歳の男で、片田舎に生まれたことから田舎小僧の異名を持っていたのが、聞き間違いから稲葉小僧と呼ばれるようになったと書かれている。 『近世実録全書』に収録された物語『稲葉小僧』では、 稲葉小僧新助は武州足立郡新井戸村の百姓・稲葉市右衛門の息子である。 安永6年(1777年)に盗みの咎で捕まり入墨のうえ敲の刑を受けて親に引き渡される。 天明4年3月に上野寛永寺の宿坊に盗みに入ったのを皮切りに江戸の武家屋敷や商家を荒らして回った。 判決が申渡されたのが天明5年10月22日である。 など、田舎小僧新助を元にしたエピソードが数多く盛り込まれている。 山本周五郎の『栄花物語』に登場した新助は、「江戸の人間ではないと思わせるため」田舎小僧と名乗ったとあり、それが訛って稲葉小僧と呼ばれることもあると、両者が同一人物であるとして描かれている。
※この「書籍に描かれる田舎小僧」の解説は、「田舎小僧」の解説の一部です。
「書籍に描かれる田舎小僧」を含む「田舎小僧」の記事については、「田舎小僧」の概要を参照ください。
- 書籍に描かれる田舎小僧のページへのリンク