更迭と外相辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 19:23 UTC 版)
「鈴木宗男事件#概要」および「鈴木宗男#疑惑・逮捕・落選」も参照 外務大臣在任中、北方領土返還をめぐる方針や外務省改革などを巡り、当時の衆議院議院運営委員長で、外務省に強い影響力を持っていた鈴木宗男との抗争や官僚との軋轢が報じられていた。ごく短期間に事務方の秘書が4人交代し、中には体調を崩して病院に入院する者も出ていた。 外務大臣辞任の決定打となったのは2002年1月、アフガニスタン復興会議へのNGOピースウィンズ・ジャパン出席取り消し事件について、田中は「事務方は『鈴木議員からの圧力があった』と自分にいった」と発言したことである。この点は同28日の予算委員会で追及され、田中は具体的な幹部職員名を上げ「言った、間違いない」、事務方は「そのようなことは言っていない」と答弁し、答弁の食い違いに委員会は大紛糾した。その日の夕方に野上義二外務事務次官の参考人招致が実施され(事務次官の参考人招致は前代未聞)、次官は「私の口からは鈴木議員云々とは一切言っていない」と証言し、対立は一層深刻化した。 同29日、小泉純一郎は田中大臣と野上次官を総理大臣官邸に呼び、喧嘩両成敗として2人を更迭、鈴木宗男は衆議院議院運営委員長を辞任した。田中は「一生懸命やってきたつもりだったんですけどね」とカメラの前で涙を流した。圧倒的な人気を誇る彼女を更迭したことで、小泉内閣の支持率は30%程度急落した。
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