暗殺失敗・荊軻の最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 15:01 UTC 版)
荊軻たちは咸陽に着いた。荊軻の目論見どおり、領地割譲の証である地図と樊於期の首に政は大いに喜び、九賓の礼をもって荊軻たちに接見した。政の前に出ると秦舞陽は恐怖から全身が震え始め、不審に思った群臣が尋ねると、荊軻は「北方の田舎者ゆえ、天子の前にて恐れおののいています」とごまかした。 荊軻は地図を持って政に献上し、政は地図を開き始めた。地図が開き終わる所に匕首が巻き込んであった。荊軻は匕首をつかみ、政の袖を取って政を刺そうとした。しかし、間一髪の所で政の袖がちぎれ、政は逃れることができた。 政は慌てて腰の剣を抜こうとしたが、剣が長すぎて鞘に引っかかり抜けなくなってしまった。群臣と衛兵たちも慌てたが、臣下が政の殿上に武器を持って上がることは法により禁じられており、破れば死刑であった。 荊軻は匕首を持って政を追い回し、政は必死で柱の周りを逃げ回り、剣を抜こうとするがあせればあせるほど剣は抜けなくなる。群臣たちは素手で荊軻を取り押さえようとし、侍医の夏無且(か むしょ)は薬箱を荊軻に投げつけた。荊軻がひるんだ隙に左右から「王よ、剣を背負われよ」と声が飛び、政は剣を背中の方へ回して、背負うような形でやっと剣を抜くことができた。 抜いてしまえば長剣と匕首では勝負にならず、荊軻は脚を斬られた傷で歩く事ももはや不可能になり、最後に匕首を政に投じたものの、外れて柱に刺さった。そして暗殺の失敗を悟ったのか、柱にもたれ床に座り込み「わが事が成らなかったのは、秦王を殺さずに脅し、土地の返還を約束させようとしていたからだ」と笑いながら罵った後、斬り殺された(激昂した政は荊軻の全身をズタズタに斬り刻み、荊軻が死んだ後も死体を斬り続けたと言われている)。秦舞陽は最初から最後まで震えているだけであった。
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