景教学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:04 UTC 版)
英語教育のかたわら、佐伯は日清戦争を契機としてネストリウス派キリスト教(景教)の研究を志すようになり、1904年、33歳のとき英語学から中国学への転向を決意、1911年には景教研究の最初の著作『景教碑文研究』を刊行した。1931年(昭和6年)東方文化学院東京研究所(戦後東京大学東洋文化研究所に吸収)の研究員となり(〜40年)、同年、北京でシリア語の詩編の碑石を発見し、1935年『景教の研究』を刊行した。1941年1月には東京帝国大学(現・東京大学)から、景教研究により文学博士号を授与された(学位論文の題は 「支那に於いて近頃発見せられたる景教経典の研究」)。1943年には、それまでの中国キリスト教史研究の集大成といえる全5巻の大著『支那基督教の研究』を刊行した。
※この「景教学者として」の解説は、「佐伯好郎」の解説の一部です。
「景教学者として」を含む「佐伯好郎」の記事については、「佐伯好郎」の概要を参照ください。
- 景教学者としてのページへのリンク