普門寺の開山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:17 UTC 版)
奈良時代 神亀4年(727年)に行基によって開山されたと伝わっている。 天文3年(1534年)成立の『普門寺縁起』には、次のような伝承が記されている。関東に向かう途中で当山に登った行基が、この山の地景を奇特に感じ、寺院草創の志を抱き修行をしていたところ、観音が姿を現して「山の形にちなんで山号は「船形山」、観音様にちなんで寺号は『普門寺』と名付けよ」とお告げがあった。行基はその観音の姿を自ら彫り、このお告げの内容を聖武天皇に報告をしたところ、堂塔建立が命じられて普門寺が開創されることになった。普門寺は天智天皇彫刻の五大明王を本尊とする「東谷」、観世音菩薩を本尊とする「西谷」からなり、聖武天皇は尊勝峯(神石山)と雨応峯(雨応山)から見渡せる範囲を寺領とした、という。 豊橋市教育委員会によって平成16年(2004年)から行われた学術調査によれば、裏山の船形山山腹にある「元々堂址」の本堂跡からは10世紀半ばの遺物が出土しており、また本尊聖観音菩薩像が11世紀、菩薩形立像(ぼさつぎょうりゅうぞう)が10、11世紀の彫刻であることが判明しており、普門寺の成立が古代に遡ることは確実視されている。
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