時辰の長さ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:54 UTC 版)
室町時代から江戸時代間での日本では、不定時法が主流だった。貞観4年(862年)に日本に導入された宣明暦では、不定時法では常に、日の出は卯(日出)の正刻、日没は酉(日入)を正刻とした。平安時代以降長らく宣明暦が使用されていたが、江戸時代の貞享元年(1684年)に導入された貞享暦からは、昼の時間は日の出から日没ではなく、これに前後の薄明を加えたものとなった。すなわち、日の出の2刻半(36分)前が夜明けであり1日の始まりとして卯の正刻(明六つ)、日の入り2刻半(36分)後を日暮れとし酉の正刻(暮六つ)とされるようになった。 このため、夏場は日の出が早く日没が遅くなり、逆に冬場は日の出が遅く日没が早くなることから、昼夜それぞれを6等分した時辰の長さ、つまり昼の1刻間と夜の1刻間は同じ長さにはならず、冬の昼間や夏の夜間は短くなり、冬の夜間や夏の昼間は長くなる。これを平均して2時間である。したがって正子・正午以外の時刻も季節により変動した。 寛政暦では、夜明けと日暮れ時は、太陽の中心の地平線に対する伏角が7°21′40″となる時刻であるとされる。これは、京都での春分・秋分の日における日の出前・日没後2刻半(36分)の太陽の位置を球面三角法を使用した計算で求めた結果に基づくものであることが、後の明治時代以降に判明した。この場合、夜明けと日暮れの長さは緯度・季節によって異なるが、京都(北緯35°01′)のみならず江戸(北緯35°41′)においても約36分前後となる。理科年表には、視太陽の中心の伏角が7°21′40″となる時刻を夜明、日暮として旧東京天文台における夜明・日出・日入・日暮の時刻が記されている。
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