昭和時代と戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 11:09 UTC 版)
神戸市役所が隣地に立地し、新聞社、電力会社、ガス会社などのライフライン機能が集積し、都市機能が充実した。湊川公園では、常設の音楽堂などで多くの催しが開催され、神戸市民の憩いの場として、多くの人々に愛された。 1928年湊川駅・湊川温泉開業。ターミナルとして賑わう。 1934年1月7日に神戸初のスケートリンクとなる「神戸・アイススケート場」が開場。また同年12月20日には聚楽館にもアイススケート場が開場した。1935年10月にはスポーツランドも開業した。 1937年2月にはマツモトザが新開地初の「ニュース映画専門館」(新開地ニュース館)となる。戦局を伝えるニュース映画は人気を呼び、他館も追随してニュース映画を上映するようになっていく。神戸瓦斯本社ビル(建築家・渡辺節氏)落成。大阪瓦斯新開地ガスビルと名を変えた後も、戦前建築物として2014年の解体まで70年余りに渡り街のシンボルとして親しまれた。 1937年5月には神戸アイス・スケート場が夏場の閉鎖期間を利用して「スケート映画館」となった。当時他の映画館でも行っていなかった洋画一本建て興行を行い、同年10月からはスケート場を閉鎖し映画一本としたが、戦争を受け1942年には日本映画の上映館に変え、名称も「新開地映画館」と改称したが1943年に閉鎖した。 太平洋戦争の切迫に伴い、新開地の歓楽街にも営業時間の短縮、灯火管制、防空演習、英米映画の上映停止、高級興行停止、課税、興行時間制限など様々な影響が及んだ。1945年3月の神戸大空襲により、新開地の施設の大部分が焼失した。
※この「昭和時代と戦争」の解説は、「新開地」の解説の一部です。
「昭和時代と戦争」を含む「新開地」の記事については、「新開地」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から昭和時代と戦争を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 昭和時代と戦争のページへのリンク