春たのしなせば片づく用ばかり
作 者 |
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季 語 |
春たのし |
季 節 |
春 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
「春愉し」はちょっとわからない季語だ。手元の資料だけで恐縮だが、山本健吉編『季寄せ 上巻』(昭48 文芸春秋)では「春興」の傍題で、その解説に「春のなぐさみごとのおもしろさ、楽しさに言う。特殊な用例として、昔新年の俳諧を板木に彫って知人に送ることを春興といった。」とある。富安風生編『俳句歳時記』(昭34 平凡社)にすでにその健吉の説の引用があるから、この説明の初出はもっと古いだろう。 しかし、大谷句仏編『俳諧歳時記 新年の部』(昭8 改造社)の「春興」には、健吉の言う「特殊な用例」の説明しかなく、昭和前期に出ている歳時記の類、虚子編『新歳時記 増訂版』(昭26三省堂)、水原秋桜子編『新編 歳時記』(昭26 大泉書店)、宮田戊子編『昭和大成新修歳時記』(昭8 大文館)、今井柏浦編『詳解例句纂修歳時記』(大15 修省堂)には「春興」すら載っていない。やや下って『図説大歳時記 春』(昭39 角川書店)は「春興」(傍題に「春愉し」あり)についての山田徳兵衛氏の考証で『改正月令博物筌』(文化5)に「春、野山を遊びて興をもよほすことなり」と出ているくらい。 それにしても全部「春興」の説明なわけで、「春愉し」がいつから「春興」と同様の扱いになったのかさっぱりだ。そういうわけで、わかりやすさ、お気楽さは素敵だが、字見ればわかるからこれ季語で使ってもいいじゃんって感じ? |
評 者 |
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備 考 |
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