映画祭がきっかけで生まれた作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:12 UTC 版)
「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の記事における「映画祭がきっかけで生まれた作品」の解説
1991年(平成3年)に審査員で参加した映画監督イ・チャンホは『ミョンジャ・明子・ソーニャ』を韓国と夕張で撮影し、同作品は1992年の映画祭で上映された。 1993年(第4回)に初監督作品『レザボア・ドッグス』(1991年)が南俊子賞を受賞したクエンティン・タランティーノは、招待客として訪れた際に本映画祭を気に入り、監督作品『キル・ビル Vol.1』(2003年)において栗山千明演じる女子高生の殺し屋に「GOGO夕張」という役名を与えた。夕張滞在中にホテルで『パルプ・フィクション』の脚本を執筆。のちにハニー・バニーを演じたアマンダ・プラマーは、2006年の映画祭にトビー・フーパー監督とともに招待参加した。 1994年にオフシアターコンペで参加した前島誠二郎監督は、西村喜廣らと『レイジング★ユーバリ』を撮影した。これがきっかけでシネマサポーターズが誕生、1999年にはこの作品がフォーラムシアターで上映された。 2000年の映画祭で「バンパイアハンターD」のプロデューサーとして訪れた山本又一朗は、2001年に『VERSUS―ヴァーサス―』で参加した北村龍平と出逢い、のちに「あずみ」を共同制作することになった。2004年には山本又一朗が審査委員として参加し、映画祭内で行われた『キル・ビル』スペシャルナイト!ゴーゴー夕張 inゆうばりに参加した栗山千明に『あずみ2』への起用を持ち掛けたとされる。 1994年の審査員として参加した台湾のホウ・シャオシェン監督は、2001年の映画祭期間中にスー・チー主演で『ミレニアム・マンボ』を撮影し、同作品は2002年の映画祭で上映された。のちに『珈琲時光』の撮影の一部も夕張で行ったが、このシーンは公開版には収録されず、DVDの特典映像として収録された。1シーンを撮影できなかったためとされている。 2006年の映画祭に岡本みね子とともに参加した俳優・監督の光武蔵人は、この年の映画祭にゲスト参加していたアマンダ・プラマーと出逢い、新作『サムライアベンジャー/復讐剣 盲狼』にアマンダ・プラマーをゲスト出演させた。同作品は2009年の映画祭で上映されている。 2008年の映画祭でオープニングを飾った『僕の彼女はサイボーグ』は、2003年に山本又一朗プロデューサーとクァク・ジェヨン監督が共に審査員を務めたことがきっかけで生まれた作品である。 1996年のオフシアター部門で上映され審査員特別賞を受賞した西村喜廣監督の「限界人口係数」をもとに「東京残酷警察」が生まれた。
※この「映画祭がきっかけで生まれた作品」の解説は、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の解説の一部です。
「映画祭がきっかけで生まれた作品」を含む「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の記事については、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の概要を参照ください。
- 映画祭がきっかけで生まれた作品のページへのリンク