旺盛な創作意欲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)
乳癌の手術後、父・豊作は新たに野江呉服店の近くに洋品店を開業し、ふみ子に店を任せることにした。ふみ子自身が今後の生活に不安感を持っていたこともあって、将来を考えて店を持たせてみたのである。しかしふみ子には全く商才が無く、店は2~3か月で閉店した。 店は上手く行かなかったものの、乳癌手術後のふみ子は活動的であった。ふみ子は1952年2月、帯広作家クラブに入会し、エッセイやラジオドラマを執筆した。同年9月、ふみ子が執筆したラジオドラマ「モザイクの箱」がNHK帯広放送局から放送されている。またふみ子は大の映画ファンで、帯広映画研究会の会員となっていた。折しも映画全盛期であり、ふみ子はしばしば映画鑑賞を楽しみ、帯広映画研究会の会報に映画や俳優に関する評論を執筆している。後述のように映画はふみ子の短歌に大きな影響を与えたと考えられている。 短歌の創作意欲も旺盛であった。1953年(昭和28年)1月には「新墾」の維持社友になっている。維持社友は選者クラスであり、短歌結社「新墾」の中ではトップクラスに登りつめたことになる。そして「新墾」などでの活躍が認められ、同年4月、野原水嶺の推薦によって全国規模の短歌結社「潮音」に入社した。しかし精力的に活動を続けるふみ子に癌の再発が発見されるのである。
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