旧・川口屋(明治20年?-明治26年)
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「K.F.C. (散弾銃)」の記事における「旧・川口屋(明治20年?-明治26年)」の解説
明治維新後の国内情勢がひとまず安定してきた明治10年代中頃(1880年代)、日本政府は江戸時代より火縄銃を手掛けていた鉄砲鍛冶や火薬商達に、銃砲火薬類の製造及び販売の免許を許可する事で、日本国内の銃器産業の振興を図っていた。村田経芳の下で村田式散弾銃の製造を本邦で初めて開始した松屋兼次郎や、後のSKB工業の創始者である阪場志業、モリタ宮田工業の創始者である宮田栄助らの鉄砲師と共に、この時期に銃砲火薬商としての免許を得た商人の一人に、川口亀吉(かわぐち-かめきち)が居た。 川口は明治20年(1887年、東京府・日本橋の馬喰町にて銃砲火薬店を開業、屋号として川口屋(かわぐちや)を掲げ、村田銃の製造や欧米諸国の元折式散弾銃の輸入販売、銃砲に関連する部品や用品類の販売を行っていた。この川口亀吉による川口屋の創業が、K.F.C.ブランドの原点の一つである。
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