日蓮による解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 07:01 UTC 版)
「四条金吾殿御返事」上に「欲をもはなれずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ。普賢経に法華経の肝心を説きて候『煩悩を断ぜず五欲を離れず』等云云。天台大師の摩訶止観に云はく『煩悩即菩提、生死即涅槃』等云云。竜樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云はく『譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し』等云云。『小薬師は薬を以て病を治す、大医は大毒をもって大重病を治す』等云云。」と示される。これは、煩悩を捨てずして仏になる道があるということである。我々の中にある様々な欲望や煩悩を毒に例えて、そういうものは捨てる必要はなく、むしろそれを使って薬にするのだと説かれている。 後代に偽作されたとされる「就註法華経口伝(御義口伝)」上には、「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは生死の闇を晴らして涅槃の智火明了なり。生死即涅槃と開覚するを『照は則ち闇生ぜず』と云ふなり。煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり。煩悩即菩提と開覚するを『焼は則ち物生ぜす』とは云ふなり。爰を以て之を案ずるに、陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提・生死即涅槃を顕はしたり云云。」と示される。これは、煩悩を消し去るのではなくて、題目を唱えて逆にそれを燃料として燃やすことで菩提の智慧の炎が現れるということである。
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