日蓮の従兄弟の子とする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「日蓮の従兄弟の子とする説」の解説
日進は文永8年(1271年)下総国東葛飾郡大柏村(現・千葉県市川市北東部)で曽谷次郎兵衛尉教信の次男として生まれた。父の曽谷教信は同郡八幡庄曽谷郷(現・市川市曽谷)の領主で幕府に仕えていた役人だったとされる。多くの宗門史跡を遺した日通の見解を記した「御書略注」や「玉沢手鑑草稿」では、日進の父・曽谷教信は皇后宮大進清原真人行清の子孫・大野右衛門大夫清原政清の子で、政清は日蓮の母の兄と著されている。つまり日進は日蓮の母方の従兄弟に当たる曽谷教信の子であったという。日進の祖父・大野政清は念仏信者で、父の曽谷教信は祖父に背いて従兄弟の日蓮に帰依し、入道後は法蓮日禮と称して日蓮を支援をしたとされる。また曽谷教信の弟で日進の叔父にあたる大進阿闍梨が建治年間(1275年ー1278年)中に没した為、その号であった大進公・大進院・三位公・大進阿闍梨を日進が受け継いだという。
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