日経連会長として
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春闘ベースアップ(ベア)が1972年16%、1973年21.7%と高水準で推移していた中、1973年秋に第一次オイルショックが起こり、インフレーションが急速に進んだ。その影響を受けた翌1974年は32.9%という史上最高水準を記録した。戦後初めて実質マイナス成長となった(高度経済成長が終焉した)こともあり、日本経済の行方に危機感を覚えた櫻田は1974年5月に「大幅賃上げの行方研究委員会」を日経連内に設置し、有識者を交え議論を尽くした。その結論は、急速なインフレ進行の原因は、実質経済成長率が低下しているにも関わらず、大幅な賃上げが実施されていることであるとし、生産性の範囲内で賃上げを実施する必要性を宣言し労使に大幅な賃上げ自粛を求め、ベースアップ率を1975年は経過措置として15%以下で、1976年以降は1桁台とするガイドラインを設定した。その結果、1975年の春闘ベースアップは13.1%に急降下、1976年には8.8%の1桁台となり、急速なインフレは終息し日本経済の混乱は避けられた。これらは「日経連に桜田会長あり」を印象づけた。その後、「大幅賃上げの行方研究委員会」は「賃金問題研究会」→「労働問題研究委員会」→「経営労働政策委員会」(日本経団連)と引き継がれ今日まで存続、毎年発行される報告書は日本経済の諸課題、企業の課題を踏まえた経営のあり方を示す指針として広く読まれている。
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