日端同盟基督協会時代
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「日本同盟基督教団」の記事における「日端同盟基督協会時代」の解説
1904年7月 - スカンジナビア・アライアンス・ミッションは日本政府より日端同盟基督協会宣教師社団法人として設立が認可された。 1904年 - 千葉町同盟基督協会献堂、古川協会土地購入、アルベルチーナ・ピーターソン宣教師千葉へ 1905年 - 中野町伝道開始、小梅町協会、松倉町講義所が日比谷騒擾事件に便乗した暴徒の焼討に遭う。眞嶋慶三郎加盟、深川猿江裏町講義所へ赴任。 1906年 - 杉本光平が千葉協会赴任、アルフレッド・ストーン宣教師来日 1907年 - 東京勧業博覧会特別伝道会、宣教団が中野の土地を購入 1908年 - フランソンが米国で召天、中野に眞嶋慶三郎赴任、新島に関口為吉赴任 1909年 - 宣教団本部中野へ移転 1910年 - 日面リキが宣教団初の婦人伝道師となる 1911年 - 伊藤悌二が三宅島伝道開始 1912年 - 杉本光平・ピーターソン宣教師が朝鮮伝道旅行を実施 1913年 - シー・イー・カールソン宣教師来日 1914年 - 大井蝶五郎が茂原同盟基督協会に赴任 1915年 - 中野町小下協会献堂、牛丸摠五郎が元村協会赴任 1916年 - マッソン宣教師帰国、同盟協会伝道開始二十五周年記念伝道会 1917年 - 三宅島・大島無牧となる 1918年 - 関清治転任で下呂伝道中止に 1919年 - 三谷種吉の牧する警監ミッション本所亀沢町集会が加入 1920年 - 伊東講義所が伊東協会に、松田政一中野協会伝道師に 1921年 - 宣教資金の行き詰まりにより宣教団年会最後の年
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