日本赤軍とPFLP
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:52 UTC 版)
「ドバイ日航機ハイジャック事件」の記事における「日本赤軍とPFLP」の解説
1973年7月20日、テルアビブ空港乱射事件に対する関与等で国際手配を受け逃亡していた日本赤軍の丸岡修ら5人と、「被占領地の息子たち」を自称するパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバー4人の混成部隊が、爆弾などの武器を持ちフランス、パリ発アムステルダム、アンカレジ経由羽田行きの日本航空404便(ボーイング747-246B型機、機体記号JA8109)に搭乗した。 ハイジャック犯人グループの1人の女が、アムステルダム離陸後に2階のファーストクラス・ラウンジで誤って手榴弾を爆発させた。この女は死亡し、近くで接客にあたっていたチーフパーサが顔面に重傷を負った。また犯人誤爆時ラウンジのトイレで着物に着替えていた客室乗務員は誤爆した犯人女の飛び散った肉片を片付けさせられたと言われている。 犯人の女の誤爆を機にハイジャックが発生、飛行中乗客、乗員は全員両手を頭の上にかざした状態で犯人から監視され続けた。 ハイジャック犯らはイスラエル政府に、テルアビブ空港乱射事件で逮捕された岡本公三の釈放と500万ドルを要求し、またベイルートあるいはダマスカスへの着陸を求めたが、複雑な問題が生じるのを恐れたレバノンとシリアはいずれもこれを承認せず、やむなく飛行機はアラブ首長国連邦のドバイ国際空港に着陸した。
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