日本への来歴と返還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:59 UTC 版)
この石碑は日露戦争時、旧日本軍の将校(池田正介少将)が発見して朝鮮半島から日本へ持ち帰ったため、靖国神社の境内に長らく置かれていた。しかし1999年頃から、朝鮮の義勇軍の子孫を中心に返還を求める動きが出始め、2005年6月の日韓首脳会談の際に「返還に向けての調整」とされ、所有者である靖国神社は、もともと北朝鮮の地にあった碑であるため、かねてより「韓国と北朝鮮の間で調整がとれていること」を「返還」の前提としてきたが、同年10月、韓国側そして日本政府の要請もあり、韓国への引渡しを決定し、移送されることとなった。韓国ではこれをしばらく新国立博物館に展示していたが、2006年の南北の実務協議により、この碑を韓国から北朝鮮に引き渡すことで合意し、同年3月1日に北朝鮮へ移送されている。
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