日本の報道合戦
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「ベルリンオリンピック」の記事における「日本の報道合戦」の解説
大阪毎日新聞は、ロサンゼルス前大会において、ライバルの大阪朝日新聞が日本代表応援歌詞を公募して大ヒット曲を生みだしたことに鑑み、子会社東京日日新聞を参画させて当大会の応援歌を懸賞公募した。この結果、山本塊二の詩が当選。『あげよ日の丸』の曲題を付し、前大会の朝日製応援歌と同じく山田耕筰作曲、中野忠晴の歌唱で日本コロムビアレーベルから発売させた。これに対し朝日は前大会応援歌『走れ大地を』を再発売する奇策で対抗したところこれが大当たりをとり、朝日の大逆転勝利となった。
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日本の報道合戦
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「1936年ベルリンオリンピック」の記事における「日本の報道合戦」の解説
読売新聞社は写真原稿輸送のため、1936年8月に1機を現地で購入、ベルリン-東京3日間の連絡飛行を企画したが、ソビエト連邦上空の飛行許可が下りず、結局船便で輸入された。この機体は「よみうり6号機(登録記号J-BACC)」として使用された。 大阪毎日新聞は、ロサンゼルス前大会において、ライバルの大阪朝日新聞が日本代表応援歌詞を公募して大ヒット曲を生み出したことに鑑み、子会社東京日日新聞を参画させて当大会の応援歌を懸賞公募した。この結果、山本塊二の詩が当選。『あげよ日の丸』の曲題を付し、前大会の朝日製応援歌と同じく山田耕筰作曲、中野忠晴の歌唱で日本コロムビアレーベルから発売させた。これに対し朝日は前大会応援歌『走れ大地を』を再発売する奇策で対抗したところこれが大当たりをとり、朝日の大逆転勝利となった。
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