日本の公娼制による違法斡旋業者の取り締まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:11 UTC 版)
「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の記事における「日本の公娼制による違法斡旋業者の取り締まり」の解説
1932年に長崎県の女性を「カフエーで働くいい仕事」と騙して中国上海の日本軍慰安所に連れて行った日本人斡旋業者が、刑法に基づき有罪とされた大審院(最高裁)判決が37年に出されていた(大審院1937年)。この当時すでに中国大陸に駐屯する日本軍の宿営地には慰安所が設置され抱主(かかえぬし)らにより経営されており、本件被告の村上富雄もそのような者であった。そこでは内地や朝鮮、あるいは現地で募集された慰安婦が存在していた。この当時の売春取締政策として日本では公娼制が採用されており、売春業は刑法182条で制限され、売春を営む女子は警察署に自ら出頭し娼妓名簿に登録したうえで娼妓稼をなしていた(娼妓取締規則)。淫行の常習のない女子を騙すなどして勧誘して姦淫させる営業行為は刑法犯罪であったのである。本件は第一次上海事変により駐屯数が増えた日本軍にあわせ業容を拡張しようとした経営者らが婦女十数名を騙し中国に移送したことについて、婦女誘拐海外移送の罪を問われたものである。判決では上海の海軍指定慰安所のためであることが明記され、「醜業」に従事させるためであるのを偽って「女給」とか「女中」と騙したとされている。
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