日本における判例主義・判例法主義的要素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 08:30 UTC 版)
「判例法主義」の記事における「日本における判例主義・判例法主義的要素」の解説
日本は制定法主義であり判例法主義ではないが、そもそも日本での判例という言葉の意味は簡潔に言えば「裁判・判決の前例・先例」であり法源ではない。 イギリス・アメリカなど判例法主義国における判例は「判例法の中で法源たる要素を構成する判例」である。 こういった中でも現実には判例は当事者以外にも無視できるものではなく、前例に従うという意味での判例主義はある。司法における前例主義・先例拘束性である。日本にある判例主義はこのような用法であり、他の行政機関等で言われる前例主義と同義である(司法に関するという点が違う)。また日本は司法消極主義と言われており(新井章「司法の積極主義と消極主義」)、その点では消極的な姿勢であるという批判もある。 日本では具体的な裁判・判決の前例・先例としての判例にも、判例法主義の判例にも同じ「判例」という言葉を当てはめているが、英語では「判例」は「Case」、「(判例法の中で法源たる要素を構成する)判例」は「Ratio decidendi」、「先例」は「Precedent」などと言う。「判例法」は「case law」や「Common law」であり、日本は判例法主義ではないため細かく定義付けることもなく「判例」とまとめがちである。日本では「現在でも影響がある判例」は永山基準のように表現する。上記のような定義に加え、日本国憲法には先例拘束性を一般的に定める明文規定も存在しない。 しかしながら日本でも、ある事件に対しての上級審の判決が、その事件の下級審を拘束するということはある。しかしこれは基本的にそれ以外の事件を拘束するものではなく、判例法主義における法源である判例とは別物である。判例法の要素ではなく上級審下級審の論点である。 上記の通り日本での判例という言葉は広義に渡るのに対し、判例法に関しては日本には判例法主義における判例法がないので、当然それに従って行動するという判例法主義は法的に不可能であり、判例法・判例法主義という言葉は端的に英米などの判例法・判例法主義を指す。 「判例」も参照
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