日本におけるポンジュの紹介・翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 22:54 UTC 版)
「フランシス・ポンジュ」の記事における「日本におけるポンジュの紹介・翻訳」の解説
上述のように、ポンジュ作品が最初の邦訳は1951年出版の『祖国は日夜つくられる』所収の2編の詩であり、1952年にはブラック展の一環として美術雑誌『みづゑ』に今泉篤男の「フランシス・ポンジュ氏について」が掲載された。サルトルのポンジュ論「人と物」所収の『シチュアシオン』が『サルトル全集(第11巻)』として人文書院から刊行されたのは1965年のことである。この間、河出書房、平凡社、書肆ユリイカの世界文学全集にそれぞれ詩数編が掲載され、1965年に阿部弘一訳『物の味方』が出版された。本書は初の外国語訳であり、1984年までに6回再版された。阿部は1978年に、ポンジュに会うために、彼が1961年から住んでいた南仏ル・バール=シュル=ルーを訪れ、1998年発表の『阿部弘一詩集』には訳詩12篇のほか、訪問記やポンジュ論が掲載されている。1982年出版の阿部弘一訳『フランシス・ポンジュ詩選』では、カミュ、サルトル、ブラック、ロブ=グリエ、ブランショ、ソレルスなどによるポンジュ論の一部も掲載れている。1974年には阿部良雄による『ポンジュ ― 人・語・物』が出版された。本書は第一部「フランシス・ポンジュ文選」として訳詩を掲載し、第二部でポンジュ論を提示している。また、詩人の谷川俊太郎も、とりわけ詩集『定義』はポンジュの影響を受けたものであると語っている。
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