日本での経過
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「ラナルド・マクドナルド」の記事における「日本での経過」の解説
(本人の口述書による) 1845年12月2日 - プリマス号でニューヨークを発つ(ハワイを拠点に捕鯨を手伝う) 1848年6月28日 - 蝦夷地の港にボートで到着。4日目に村人に会い、食事と服を与えられ、8日間滞在。町の牢に移送され、30日間収監されたのち、宗谷に移送され30日以上収監される。 1848年9月6日 - 松前に移送され収監。他に15人のアメリカ人も収監されていることを知る。 1848年10月1日 - 長崎に向けて船で出発。 1848年10月15日 - 長崎着。2日間船上にて待機。 1848年10月17日 - 下船し、通訳の森山栄之助に会う。役所の入口で、森山から日本の悪魔が描かれているというプレートを踏むように言われ、従う。人ごみに押されてよく見えなかったが、聖母子に見えた。森山から役人には膝をついて頭を下げて礼を示すように言われ、従う。名前や出身などを聞かれたあと、寺に幽閉される。 1848年10月18日 - 森山に聖書がほしいと伝えたが、聖書のことは口にするなと忠告される。そののち2度役所に呼ばれ、聴取される。 1849年4月17日 - 銃声を聞き、看守からオランダの定期船来訪の合図と聞く。そののちプレブル号の来訪も知らされる。長崎収監中、通詞の学者たちと交流。英語は森山が一番うまく、あと2~3人が少し話せた。 1849年4月24日 - 出島にてオランダの管理下に置かれる。 1849年4月26日 - プレブル号乗船。 1849年4月30日 - プレブル号船長からの聴取により、口述書作成。
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