日本での経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 12:00 UTC 版)
「大塚太郎 (造園家)」の記事における「日本での経歴」の解説
大塚太郎は、1868年に四国の高知県高知市で生まれた。父親の名前は不明だが、土佐藩の藩士で、孫文を助けた萱野長知の親戚であった。政治家片岡健吉や後藤象二郎なども彼の親族であった可能性が高い。 1921年頃に海外の日本式庭園の調査で米国を訪れた造園研究家の上原敬二は、大塚のことを次のように説明している。 大塚はこれより数年早く渡米した高知県人で、同地では庭園家ではなく鉱山師、石材を広く扱っているうち、いつとはなしに庭の石組に興味を持ち護岸石組、庭池などの築造を始め、のち朱塗欄杆の太鼓橋、朱塗鳥居、石燈籠、枝垂柳の類を狭い区域に配置して喜ばれた 上原は同じ本の中で、「その頃に渡米した大塚太郎が独特の日本庭園をアメリカ中部地方に数多く築造した。しかしこれは我流であった。」 1917年4月に『Country Life』誌に載せた彼の広告には「30年間の造園経験」と書いてあった。渡米は1897年であり、1917年の時点では20年。つまり米国に移住する前の10年間、彼はおそらく日本でも造園の仕事をしていたのだと思われる 1897年にカムラヨネコと結婚した。1920年の米国国勢調査によると、二人には子供はいなかった。
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