日本でのルノー FT-17
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:07 UTC 版)
「ルノー FT-17 軽戦車」の記事における「日本でのルノー FT-17」の解説
第一次世界大戦後、各国に輸出されたFT-17だが、日本でも1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて、大日本帝国陸軍がマーク A ホイペット中戦車数輌(3輌説あり)とともに、FT-17を20輌以上輸入した。輸入した内には弾痕が残る中古の車輌も含まれていたという。おそらくこの内の数輌が陸軍騎兵学校にも分けられたと考えられ、そして1920年(大正9年)から陸軍騎兵学校でもFT-17の運用研究を開始し、それを参考に後に九二式重装甲車が開発された。 これらの輸入戦車を用い、日本初の戦車隊として1925年(大正14年)5月1日に福岡久留米に「第1戦車隊」が、千葉の陸軍歩兵学校に「歩兵学校戦車隊」が同時に創設された。さらに大量の中古のFT-17の輸入計画も存在したが、陸軍技術本部による戦車国産化計画が認可されたため中止された。 同年の戦車隊への配備時に、FT-17の武装を6.5mm改造三年式機関銃に換装して(一部の車輌は37mmの改造狙撃砲や改造十一年式平射歩兵砲を搭載した)、1931年(昭和6年)の満州事変の頃まで運用し続けた。 1930年(昭和5年)には生産が進まない八九式中戦車の間に合わせに、FT-17の後継である、ルノー NC27 軽戦車が23輌輸入された。ルノー NC27の輸入後は、運用側では先に輸入していたFT-17との区別のために、FT-17を「ルノー甲型戦車」、ルノー NC27を「ルノー乙型戦車」と呼称した。なお、海外の記述では日本が運用したFT-17のことを、「Type 79 Ko-Gata」(七九式甲型)と非公式名称で呼称していることがある。七九式は輸入年である皇紀2579年(1919年)に由来する。 満州事変では百武俊吉大尉率いる臨時派遣第1戦車隊にルノー FT-17とルノー NC27がともに、配属された。 FT-17は実用速度は 4 km/h 程度で非常に遅かったが、歩兵支援/直協戦車としては問題なく、日本軍の歩兵には心強い味方として頼りにされ好評だった。 輸入分以外にも、満州事変で奉天軍閥の張学良軍から、ブルーノZB26軽機関銃装備のルノー FT-17を、20輌以上鹵獲し使用した。
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