日本でのオーバーホール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 02:20 UTC 版)
「アリソン J33」の記事における「日本でのオーバーホール」の解説
1954年7月、川崎航空機はジェットエンジンオーバーホール準備室を発足させ、T33練習機のオーバーホールに関する技術提携先のLASO(ロッキード・エアクラフト・サービス・オーバーシーズ)から技術作業員18名を受け入れて、受注準備を始める。LASOの支援を受けて、川崎航空機がジェットエンジンのオーバーホール契約の提案書を作成して受注。同年9月に熱処理メッキ工場、修理組立工場が完成。部品の管理、帳票を米軍方式にし、品質管理も米軍規格MIL-Q-5923Bを適用、LASOの品質管理制度を導入。1955年1月にアメリカ軍へ初めて引き渡しを完了。この過程で近代的な生産技術・品質管理・生産管理手法を取得し、後のジェットエンジン事業の発展の基礎となった。なお、1990年の航空自衛隊の最終号機の出荷までに3800台以上をオーバーホールした。
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