日常生活における使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:47 UTC 版)
イスラーム教徒は、何かの義務(たとえば儀礼的規範イバーダート)を果たすときや何か良いことをするときには、必ず、その前にバスマラを唱える。ただし、礼拝(サラー)の前は例外であり、この場合はタクビールの文句(allāhu akbar)を唱える(これは聖典の規定に根拠がある)。また、神名を繰り返し唱えるズィクルの前も、バスマラは唱えない(これは慣行である)。 バスマラは、「アッラフマーン」と「アッラヒーム」を省略し、「ビスミッラー」のかたちでもよく唱えられている。一般的には、まじめな行為の前では完全な形のバスマラが唱えられるべきであり、逆に、そうでない場合には省略された形のバスマラが唱えられるべきであるとされる。省略された形のバスマラ、すなわち「ビスミッラー」が唱えられる典型的なシチュエーションとしては、食事の前に唱えるバスマラがある。この場合の「ビスミッラー」は、日本語・日本文化における「いただきます」に相当すると言われる。状況に応じて行為の質が変化するような行為の場合には、バスマラを唱えることによって神の祝福を受けられる場合があるとされる。例えば、婚姻関係にある者同士の性行為がその一例である。 このようなイスラーム教徒の日常生活の隅々にまでいきわたった慣行は、聖法学、いわゆる「イスラーム法学」が預言者のハディースに基づいて根拠づけをしている。重要な行為をする際に、バスマラを唱えたうえでないと、その行為は中断するであろうという趣旨のことを預言者ムハンマドが述べたとするハディースがある。このハディースが、イスラーム教徒がバスマラを唱える慣行の拠り所になっている。このハディースについては多様な解釈が可能であるが、例えば、イブラーヒーム・バージューリー(英語版)という19世紀エジプトのシャーフィイー派ウラマーは、当該ハディース中の「重要な行為」とは聖法的価値(ḥukm)を持つ行為であるとし、禁止された行為や非難に値する行為ではないと言っている。
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