新しい競争者が「10億ドルの炭田」を開く
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「ウェストバージニア州の歴史」の記事における「新しい競争者が「10億ドルの炭田」を開く」の解説
1900年までに、ウエストバージニア州南部の起伏の激しい地形にある大きな地域のみが、既存の鉄道と採炭活動と距離を置いた所となった。ローリー郡やワイオミング郡のニューリバー炭田の西の地域内にワインディングガルフ炭田があり、後に「10億ドルの炭田」となった。 アンステッド博士の弟子に土木技師かつファイエット郡の採炭支配人のウィリアム・N・ペイジがいた。元ウエストバージニア州知事ウィリアム・A・マコークルはペイジのことを「農夫が畑のことを知っているように」土地のことを知っている男と表現した。1898年からペイジはヨーロッパに本拠を置く投資家を纏め上げ、未開発地域の利点を生かした。彼らは広大な土地を手に入れ、ペイジが短距離鉄道であるディープウォーター鉄道を始めた。この鉄道はチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道のカノーハ川沿いの路線とノーフォーク・ウェスタンのマトーカとを結ぶことで認可され、距離は80マイル (130 km)だった。 ディープウォーター鉄道の計画はどちらかの鉄道を介して競合する輸送市場に供給するはずだったが、2大鉄道会社の指導者達はその計画を喜ばなかった。2社は陰で結託して、ペイジとの使用料交渉を断り、他にも短距離線を多く持っていたのでペイジの線の買収も申し出なかった。しかし、もしチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道とノーフォーク・ウェスタンの社長がこれでペイジの計画を没にできると考えたならば、間違っていたことが証明された。ペイジが協力を得ていた物言わぬ共同投資家の中に、ジョン・D・ロックフェラーのスタンダード・オイル信託企業の社長で、自然資源の開発と輸送の専門家である100万長者の工業資本家ヘンリー・ハットルストン・ロジャーズがいた。競合社との「戦争」での熟達者であるロジャーズはその活動で負けることが嫌いであり、しかも「深いポケット」(資金)があった。 ペイジ(およびロジャーズ)は諦める代わりに密かに計画を練り、ロジャーズの個人資産を使って4,000万ドルの費用を賄い、バージニア州を東に横切る独自の新線を建設した。バージニアン鉄道と改名された新線が1909年に完成したとき、3社以上の鉄道がハンプトン・ローズから増加し続ける大量の石炭を輸出用に積み出していた。ウエストバージニア州の石炭は五大湖の港でも高い需要があった。バージニアン鉄道とノーフォーク・ウェスタンは結局現代のノーフォーク・サザン鉄道の一部となり、バージニア鉄道のよく設計された20世紀の鉄道はハンプトン・ローズの成長に貢献を続けている。
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