文官としての武士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:06 UTC 版)
初の武家政権である鎌倉幕府においては、大江広元、三善康信、二階堂行政や二階堂氏の文士御家人に代表される下級貴族(官人)を文官的存在として招聘した。 主に平安時代以降、鎌倉時代・建武政権・南北朝時代・室町時代・戦国時代・安土桃山時代と、次第に武士が公権力を担う領域は拡大し続けた。貴族を武家政権が招聘する例は続いたものの、実務を担う立場から顧問的な立場へと権限は縮小していった。そして元来軍人「武官」に相当する職務であった武士が「文官」として働くことが多くなった。 江戸時代以降は社会の全てを覆うようになり、幕府においても僧侶を顧問的立場として招聘する場合はあったが、貴族(公家)は政権から締め出された。これにより文官的な役目も全て武士が担うようになり、江戸時代以降の武士は、軍事から政治行政等へと活躍の場を移っていくことになる。また文芸や学問など、武芸とは関係無い才能を認められて新たに幕府や藩に登用された者も、武士としての身分が与えられた。このようなところにも、武士と武官の違いが現れているといえよう。江戸幕府においては文官及び行政担当に相当する武士を「役方」(役人)、武官に相当する武士を「番方」(番頭)と呼んだ。
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