文化交流について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:28 UTC 版)
「習志野俘虜収容所」の記事における「文化交流について」の解説
収容所内の印刷所では日本情緒あふれる絵はがきが作られた他、ドイツ兵の中には日本の文化に深い興味をもち、日本の民話の翻訳に没頭する者(フリッツ・ルンプ)もいた。また、地域との交流も行われており、演芸会をのぞきにきた地域の子供達がドイツ兵からラムネをもらったり、収容所見学に来た小学生の一行にドイツ兵が「ボトルシップ」をプレゼントしたなどのエピソードも残されている。 その交流を通じて石鹸やマヨネーズなどの製法も伝えられたが、中でもカール・ヤーンら5名のソーセージ職人は、千葉市に新設された農商務省畜産試験場の求めに応じてソーセージ作りの秘伝を公開し、この技術は農商務省の講習会を通じて、日本全国に伝わっていった。そこで習志野を「ソーセージ製法伝来の地」と見る説もある。その他、同収容所から房総の牧場に出張してコンデンスミルクの技術指導をした者、東京銀座のカフェーで洋菓子作りの指導を行った者などが知られている。日独開戦前、山梨県のぶどう園(現、サントリー登美の丘ワイナリー)に招かれ、指導にあたったワイン技師・ハインリッヒ・ハム(解放後は帰国)なども収容されていた。
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