文化、経済的側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:58 UTC 版)
「グランド・オール・オプリ」の記事における「文化、経済的側面」の解説
あらゆる面において、オプリはアメリカのカントリー音楽の登竜門と定義されている。新人、スーパースター、伝説の人を問わず、数百の演奏家が出演した。グランド・オール・オプリに出演することは、カントリー音楽のエリートであることを意味していた。番組開始当初は出力も小さく、ナッシュビル発の電波を受信できるような地域では、オプリは例外として早朝か昼に放送されることが一般的で、それは聴取者が主に農家であったことによる。アパラチアの山村の農民たちは、土曜の夜のオプリを聞くために、数マイル離れたラジオのある家に集まって熱心に聞いた。特に、辺境の地に住むミュージシャンはその一流のミュージシャンたちの演奏技術を盗もうと耳をそばだてて聞いた。チェット・アトキンスもオプリを聞いて独学でギターを学んだ一人である。 オプリでは出演者へのギャラはないこともしばしばで、演奏者たちは、代わりに自分達のツアーやコンサートの告知ができればいいと思っていた。しかし、やがて出演者たちは、隔週でレギュラー出演するとしても、年に少なくとも26回はナッシュビルで番組にノーギャラで出ることが重荷になっていった。このため、1960年代中期には出演料が出されることになり、落ちていた番組の質は向上した。 長年、グランド・オール・オプリへの出演はカントリー音楽のスターへの道と考えられていたが、1970年代終わりと1980年代前半には、かつてのスターしか出演しなくなったため、「古くさいお遊び」として見放されるようになった。特にドラムとエレキ楽器の使用がされなかったという点では、新しくて若いカントリーロックのアーティストは出演できなかった。保守的なカントリー音楽の伝統を守っていることで、よくも悪くも、オプリは長年続けることができたとも言える。 2004年9月、グランド・オール・オプリはカントリー料理のチェーンレストラン、クラッカー・バレルを提供スポンサーに迎え、「グランド・オール・オプリ presented by クラッカー・バレル」となった。
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