敵役から主役級へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:30 UTC 版)
「ロバート・ショウ」の記事における「敵役から主役級へ」の解説
映画での出世作は1963年の『007 ロシアより愛をこめて』(日本初公開時タイトル『007 危機一発』、テレンス・ヤング監督)。この作品でショウはスペクターの殺し屋ドナルド・レッド・グラント役を演じ、脚光を浴びる。 1965年に出演したシネラマ大作『バルジ大作戦』(ケン・アナキン監督)ではヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアン、ダナ・アンドリュースといった名だたるハリウッドの大スター達を向こうに回し、ドイツ軍戦車隊指揮官マルティン・ヘスラー大佐役を演じる。クレジットビリング(出演者序列)ではフォンダに一歩譲ったが、実質的主演者として一躍スターダムにのし上がった。 1966年の『わが命つきるとも』(フレッド・ジンネマン監督)ではヘンリー8世役の演技によりゴールデングローブ賞とアカデミー助演男優賞にノミネートされ、演技派として地位を確立した。 その後も『誕生パーティー』(1968年)、『雪崩』(1970年)等の実験的異色作から『カスター将軍』(1967年)、『空軍大戦略』(1969年)、『スティング』(1973年)、『ジョーズ』(1975年)、『ブラック・サンデー』(1976年)、『ナバロンの嵐』(1978年)等といった大作・話題作まで次々と出演。名実ともに名優として認識されるようになっていった。 第48回アカデミー賞授賞式(1976年)において、ウォルター・マッソー、ジョージ・シーガル、ゴールディ・ホーン、ジーン・ケリーらと共に司会を務めた。この年の授賞式では司会進行はリレー形式が採られ、ショウはマッソーからバトンタッチされる形での登場だった。さらにショウからシーガルとホーンのコンビにバトンタッチ、最後はケリーが務めた。
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