整備計画の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:17 UTC 版)
「C-1 (輸送機)」の記事における「整備計画の変遷」の解説
3次防では試作機(XC-1)2機とともに先行量産機2機の調達も盛り込まれていたほか、続く第4次防衛力整備計画では30機の整備が予定されていたが、上記の経緯により4次防の調達計画はかなりの圧縮を強いられた。C-1は生産機数が少ないこともあって単価が割高になることを避けられず、4次防では24機の予算化となった。この価格高騰を受けて、財務当局からはC-1の調達を早期終了しC-130の輸入に切り替えることも提案されたが、この時点では空自主要滑走路のほとんどがC-130の正規運用に耐えるだけの強度を持たなかったために見送られた。 これによって遅れは生じたものの、五三中業によって36機(3個飛行隊分)の整備という構想は達成できる予定であった。しかし続く五六中業で検討されていた長距離中型輸送機の整備の実現が危ぶまれていたことから、1個飛行隊分をC-130HのFMS購入に振り替えることとした。これによって製造は通算31機(試作2機、量産29機)で打ち切られることとなり、1980年(昭和55年)3月に最終契約、1981年(昭和56年)10月に最終号機が納入され、C-1の生産は終了した。
※この「整備計画の変遷」の解説は、「C-1 (輸送機)」の解説の一部です。
「整備計画の変遷」を含む「C-1 (輸送機)」の記事については、「C-1 (輸送機)」の概要を参照ください。
- 整備計画の変遷のページへのリンク