教育法の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:48 UTC 版)
「王立絵画彫刻アカデミー」の記事における「教育法の確立」の解説
発足当初、アカデミーでの芸術教育は、併設された「王立絵画彫刻学校」で行われ、12人の幹部が毎月交代で指導にあたった。絵の具の溶き方や画布の張り方といった基礎技術、初歩の素描については、アカデミー会員の工房に弟子入りして手ほどきを受けておくことが前提になっていた。授業は古典古代・ルネサンス期の建築や人体の石膏像を研究することから始まり、人体を描いた素描や版画の模写、古代彫刻の石膏像の模写、男性裸体モデルの素描と進められた。 また理論教育も重視され、幾何学・解剖学・遠近法・文学といった授業が行われていた。運営はシャルモアなど支持者による財政支援と、会員による会費・授業料でまかなわれ、王室からの財政的な支援は受けていなかった。 会員には、同業者組合の親方との違いを際立たせるため、公私にわたる品方向性さが要求された。宴会で騒ぐことや店を出すことも禁じられ、オネットム(fr:Honnête homme、紳士)として振る舞うよう求められた。 アカデミーはサン=ユスタッシュ教会近隣の私邸に本拠があり、多くの生徒が集まるようになるとドゥー=ブル街のクリソン館、パレ・ロワイヤル(リシュリュー街ブリヨン館)と移転する。
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