教科書への掲載と急速な普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 17:16 UTC 版)
「どんぐりころころ」の記事における「教科書への掲載と急速な普及」の解説
本作品の普及において、大きな転機を迎えたのは終戦直後である。終戦によって1945年(昭和20年)に国定教科書が廃止され、教育現場では墨塗り教科書、次いで1946年(昭和21年)に国定教科書から不適当な教材を削除した暫定教科書を発行して混乱期をしのぎながら、戦後の新しい教科書作成を急ピッチで進めていた。終戦から2年後の1947年(昭和22年)に文部省は、俗に最後の国定教科書とも呼ばれる「文部省著作教科書」を発行。「音楽」の教科書には、歌曲が各学年22編ずつ収録されており、選曲は刷新され戦前の教科書には登場しなかった外国曲や童謡が大幅に採用された。本作品も小学校2年生用の音楽教科書『二年生のおんがく』の13番目の歌曲(11月指導用)として初掲載され、これが本作品が急速に世に浸透する発端となった。この文部省著作教科書は、2年後の1949年(昭和24年)に検定教科書が発行されたことにより短い役目を終えたが、楽曲の選定等は民間の検定教科書の雛形とされ、本作品は民間から出版された教科書の多くでも引き続き採用された。その後も本作品は多くの教科書で継続的に使用され続け「日本の三大童謡の一つ」と言われるまでの普及を遂げたが、昭和末期頃から徐々に教科書から姿を消しはじめ、平成期に入って以降の掲載は殆ど無くなっている。
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