教科書の竹島記述についての主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 01:27 UTC 版)
「高嶋伸欣」の記事における「教科書の竹島記述についての主張」の解説
1974年(昭和49年)、文部省検定を通過した付図について、「尖閣諸島は沖縄返還で話題になったから意識的に表記された」とし、「しかし、竹島は当時問題になっていないし、日本人はずっと関心がなかったので、目立たない程度に表示されているだけだった」と韓国マスコミのインタビューに答えている(しかし日本は竹島問題について1952年(昭和27年)から韓国に対して国際司法裁判所への付託を韓国側に提案してきており、1965年(昭和40年)の日韓基本条約で日本側は竹島問題は紛争処理事項であるとしている)。そしてこれまで竹島を問題としていなかった日本が、近年竹島を領土問題として浮上させた理由は、安倍晋三を中心とした自民党勢力が、票田のために、領土紛争を引き起こしてナショナリズムを拡散させるように島根県をけしかけたものであると主張している(しかし1977年(昭和52年)2月5日には、すでに福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と公言している)。民主党政権になっても竹島問題は同じく浮上し続けている点については、「民主党自体が半分は隠れた自民党だから」と主張している。
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