教歴・研究歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:42 UTC 版)
「ピエール・ヴィダル=ナケ」の記事における「教歴・研究歴」の解説
1955年から1956年までオルレアンのポティエ高等学校で教鞭を執る傍ら、フランス人民戦線内閣の首班レオン・ブルム (1872-1950) の著書の編集に携わった。1956年から1961年までカーン大学文学部助手として古代ギリシア史の講座を担当。高等研究実習院でジャン=ピエール・ヴェルナンに師事した。1961年から1962年までリール大学文学部助手を務めた。1962年から1964年まで国立科学研究センター研究員。引き続き、高等研究実習院でジャン=ピエール・ヴェルナンのセミナーに出席するほか、古代文明における戦争の社会学、パピルス学、ギリシア碑文研究などの講座を受講し、クレタ島やサモス島で考古学研究を行った。ピエール・レヴェックとの共著で『アテナイ人クレイステネス』を『アナール』誌に発表。また、まだフランス語に翻訳されていなかった『オデュッセウスの世界』の著者モーゼス・フィンリーの研究を『アナール』誌で紹介した。1964年から1966年までリヨン大学文学部助教授を務めた後、1966年に高等研究実習院第6部門(経済学・社会学)(部門長:フェルナン・ブローデル)の副指導教授として着任。1969年から1975年まで同第6部門指導教授。1975年に同第6部門が独立して社会科学高等研究院になってからも1997年に退官するまで指導教授を務め、さらに1985年からは(ジャン=ピエール・ヴェルナンが創設した)ルイ・ジェルネ古代社会比較研究センター所長を兼任した。 古代ギリシア史のほか、ユダヤ史、地中海史についても研究し、著書を発表している。
※この「教歴・研究歴」の解説は、「ピエール・ヴィダル=ナケ」の解説の一部です。
「教歴・研究歴」を含む「ピエール・ヴィダル=ナケ」の記事については、「ピエール・ヴィダル=ナケ」の概要を参照ください。
- 教歴・研究歴のページへのリンク