教区教会聖ペーターおよびパウル教会
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「フィルマー」の記事における「教区教会聖ペーターおよびパウル教会」の解説
この教会は、1746年から1749年に、チロル出身でボッパルトで活動していたトーマス・ノイロールの監督下で、1292年に「バシリカ」と呼ばれていた後期ロマネスク様式の教会のあった場所に建設された。この教会は控え壁と交差ヴォールトをもつ柱間5間の大きなザールキルヒェ(ドイツ語版、英語版)である。やや狭い内陣室は、塔(ドイツ語版、英語版)の東に位置している。塔の頂部は、1885年の落雷後に、ネオゴシック様式で建造された。内部にはハーダマルの彫刻家(ヨハン・テュービンガー、ヤーコプ・ウィース)の後期バロック様式の豪華な調度(1760年 - 1764年)や、18世紀から19世紀の地元のラーン大理石作品が配置されている。現在のバロック様式の「ヤコブの祭壇」は、1491年にすでに「ヤコブおよびマティアスの祭壇」として記録されている。 1957年にヴィースバーデンの建築家パウル・ヨハンブロアーによって内陣を西に向かって拡張する工事が行われた。現在この教会は、2階席を含めて500人の信者を収容する会衆席を有している。儀式用祭壇とフランス産石灰岩で造られた朗読壇(ドイツ語版、英語版)は1980年代から1990年代にフィルマーの彫刻家ヴァルター・シュミットによって芸術的に設えられた。1988年から1989年の修復の際、2階席の下の後ろ壁の前に2基の新しい礼拝堂が創られた。ここには15世紀末の磔刑群像と十字架の道行きの像が収められている。ここには、ラーン大理石製のコミュニケーション・ベンチ(内陣をもある。オルガンは1754年/1755年にヨハン・クリスティアン・ケーラー(フランクフルト)によって建設されたもので、何度かの改良(1885年/86年 リムブルクのケラー兄弟、1932年、1976年 ボンのヨハネス・クライス)がなされ、2つの手鍵盤と脚鍵盤、27のストップを有している。また、バロック時代の前面管が保持されている。
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