教区再編と国教廃止以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:59 UTC 版)
「ダブリン大主教」の記事における「教区再編と国教廃止以降」の解説
1833年からアイルランド国教会は中世以来の教区を再編した。24あった主教区は統合が行われ12に減らすことが決定し、また大主教管区についても、いままで4つあった大主教管区が2つに統合されることとなる。大主教であったキャセルとツアムは廃止され、キャセル大主教管区は1838年にダブリン大主教管区に吸収される形となって現在のアイルランド南部5教区を統括する南部大教区(ダブリンおよびキャセル連合大主教管区)が完成した。また主教区についても、1846年には新たにキルデア主教区と連合した(1976年には再び分裂して、キルデア主教区はミーズ主教区と連合、現在ではミーズおよびキルデア主教区となっている)。 アイルランド国教会は設立以来、圧倒的少数派でありながら国教であるという状況であった。歳入をカトリック信徒を含めた全アイルランド人から徴収した十分の一税で得ていたことも批判の対象であった。19世紀に入るとこの状態の改善に向けた動きは強まり、自由党政権化の1871年1月1日、アイルランド国教会は国教の地位を降りた。このさい多くの教会建築などがアイルランド政府の所管に移されたものの、現在でもダブリン大主教区の大聖堂は2つともがダブリン大主教区の管理下にある。なお、宗教改革以降クライストチャーチから締め出された形となっているカトリックのダブリン大司教座は現在では聖マリア臨時司教座聖堂にあるが、現在に至るまでカトリックは、あくまで正式な司教座はクライストチャーチ大聖堂であるという姿勢を変えていない。
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