政府の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:35 UTC 版)
バーモント共和国憲法はイライジャ・ウエストのウィンザー酒場で1777年に起草され批准された。これは北アメリカでは最初の成文憲法であり、新世界で初めて奴隷制度を禁止し、所有資産によらず全ての成人男性に選挙権を認めた憲法でもあった。バーモント共和国が存続した間、政府は自らの貨幣を発行し、郵便制度も機能させた。共和国議会と知事委員会はグリーン・マウンテン・ボーイズ歩兵隊の旗を国旗に制定した。共和国知事トマス・チッテンデンは委員会と一院制議会の承認に基づきフランス、オランダおよびフィラデルフィアにあったアメリカ政府に大使を派遣した。バーモント共和国は「気乗りしない共和国」と言われることがある。というのも建国当初の住人の多くはアメリカ合衆国との政治的連帯を望んでいたからである。独立国としての状態はアメリカ合衆国が憲法を制定した後の1791年まで保たれ、奴隷制を続けるケンタッキー州の対極に来る奴隷制のない州として、アメリカ合衆国に加入した。バーモントの加入は北部の小さな州や、西部辺境に拡張する可能性が低く領有権の争いに執着していた州によって支持された。トマス・チッテンデンは共和国時代のほとんどをその首長として活動し、バーモント州初代知事にもなった。 1793年バーモント州憲法は1777年バーモント共和国憲法に多少の修正を施して制定された。例えば三権分立である。その後幾つかの修正が加えられ現在に至っている。
※この「政府の構成」の解説は、「バーモント共和国」の解説の一部です。
「政府の構成」を含む「バーモント共和国」の記事については、「バーモント共和国」の概要を参照ください。
- 政府の構成のページへのリンク