改正帝国大学令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:08 UTC 版)
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 1919年(大正8年)、大学令公布とともに帝国大学令も改正された。改正後は、帝国大学の医学教育機関は「医学部」と称された。以下は、単科大学としての医科大学を経ないで帝国大学の医学部となった事例である。なお、帝国大学以外で、終戦前に「医学部」と称したものに、大学令に基く慶應義塾大学医学部(1920年(大正9年)設置)と日本大学医学部(1943年(昭和18年)設置)がある。 北海道帝国大学医学部(1919年(大正8年)設置。現北海道大学医学部。地図)大学設立は大学令の1年前だが、医学部設立は大学令施行後。北海道には医学教育機関がなかったため、前身はない。設置の際には先行帝国大学医科大学から教授陣が赴任。 京城帝国大学医学部(1926年(大正15年)設置。現ソウル大学校医科大学。地図)京城帝国大学創立と同時に新設された医学部。戦後、京城医学専門学校と合流。 台北帝国大学医学部(1936年(昭和11年)設置。現国立台湾大学医学院。地図)前身は台北医学専門学校で、1928年(昭和3年)創立の台北帝国大学に1936年(昭和11年)包摂された。
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