摂津国八十八箇所
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摂津国八十八箇所(せっつのくにはちじゅうはちかしょ)は、江戸時代中期(安永年間・1772年 - 1781年)に、四国八十八箇所霊場に擬して、真田山観智院(現在の第16番札所・観音寺の起源のひとつ)の月海上人により開かれたとされる摂津国(大阪府北中部と兵庫県南西部)にある八十八箇所の霊場。江戸時代には、熱心な大師信仰に支えられて殷賑を極めたと伝えられる。明治以後には廃仏毀釈の影響、また大阪大空襲による被災などで多くの寺院が灰燼に帰すなど戦中戦後の荒廃にも見舞われたが、六大院(第14番札所)前住職・小原孝澄大僧正の長年の尽力の末、昭和55年(1980年)1月、全札所寺院の結集がなり、霊場再興が成し遂げられた[1]。なお、昭和55年(1980年)には摂津国三十三箇所も創設されている。廃仏毀釈により廃寺となった影響により札所が別の寺に移ったり、空襲による焼失からの復興の際の移転などにより郊外に移転した寺院がある影響により、1番から順番に「順打ち」しようとすると、不自然なルートとなる部分がある。なお、江戸時代の札番と現在の札番は異なっていることが多い。
- ^ 『摂津国八十八所巡礼』摂津国八十八所霊場会編、朱鷺書房発行
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