持明院基定とは? わかりやすく解説

持明院基定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 08:51 UTC 版)

 
持明院基定
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年4月10日1607年5月5日
死没 寛文7年10月17日1667年12月2日
官位 正二位参議権大納言
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 大沢氏持明院家
父母 父:大沢基宿、母:不詳
養父:持明院基久
兄弟 大沢基重基定、大沢基成、大沢基近、山名豊政正室ら4男2女
養兄弟:大沢基賀
正室:持明院基久の娘
基時高野保春、高倉永敦室、稲葉正往継室
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持明院 基定(じみょういん もとさだ)は、江戸時代前期の公卿高家旗本大沢基宿の次男。官位正二位参議権大納言。『入木源底集』を著す。

経歴

持明院基久基征父子は公家でありながら、大坂の陣に参加し大坂城に入城し、最終決戦の天王寺・岡山の戦いで戦死した(落ち延びたという説もある)。その後、基定が基久の娘婿となり名跡を継ぐことを許された。正保3年(1646年3月10日、臨時奉幣使として後光明天皇より日光東照宮に派遣され、翌4月17日に東照宮に奉幣する。これが日光例幣使の始まりである[1]

系譜

脚注

  1. ^ 旧日光市歴史年表(江戸1)”. 日光市. 2022年8月6日閲覧。




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