手がけた団地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 16:23 UTC 版)
日本住宅公団時代に手がけた団地は以下のものが知られている。 青戸第一団地 - 津端が初めて団地設計を行なった。一貫してロングビスタへのこだわりをもとめているという 原宿団地 - 東京都渋谷区にかつて存在した住宅団地である。住棟配置の設計を担当 阿佐ヶ谷住宅 - 住棟配置の設計担当。著書には「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなもの(=コモン)を、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」と記している 多摩平団地 - 住棟配置の設計を担当。昭和33年設計の同団地から、配置計画に津端以外の設計者がかかわったことを記した記録がみられない。津端は明るく開放的で緑にあふれた団地というテーマにそってこの団地を設計したことがしられる。 高根台団地 - 地形を生かしたポイントハウスとテラスハウスの絶妙な配置で知られ、設計した団地のなかでも特に有名な団地となった。この団地設計からそれまでの個人設計からチーフデザイン・協議設計方式へと移行し、津端は上位計画を担当、各詳細計画は若手技術者に委ねられている。また、宅地部との協働も試みられるなど、団地係の職能が建築にとどまらない広範に係わることとなる 赤羽台団地 - 1960年設計。配置設計は津端によって行なわれ、直行配置・囲み配置・ポイントハウスの導入など多くの試みを実践。津端による赤羽台団地エスキースは現存するだけで、7種存在している。津端による配置設計をもとに、住棟を各建築技術陣が設計した 携わった過去の団地のレイアウト・プランは、個人の資質による独創的なデザインで行っていた。
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